前世療法の実際

実施例を示します。 クライアントさん(女性)は、たいていの外国語には(喋れるかどうかはともかくとしても)馴染めるんだけど、「ドイツ語だけはどうしても馴染めません。 これはきっと私が前世でユダヤ人で、ドイツ人に殺されているからじゃないでしょうか?」と訴えていました。 さっそく、なぜドイツ語には馴染めないのか、その原因を探っていきました。 そこで出てきた光景は・・・

適切な催眠誘導の後、

セラピスト : さあ、何か見えますか? 何か感じますか?
クライアント : ・・・ はい・・・、どうやら・・・たぶん、戦時中のようです・・・
セラピスト : そこはどこか分かりますか?
クライアント : ・・・たぶん、ドイツのような感じです・・・
セラピスト : あなたは今そこで何してるのですか?
クライアント : ・・・ 何でしょうかね??・・・
セラピスト : あなたは今、女ですか? 男ですか?
クライアント : ・・・男ですね・・・
セラピスト : 今、一人ですか? 周りには誰かいますか?
クライアント : ・・・ たぶん、同僚とか仲間みたいな人達でしょうか・・・
セラピスト : みんなで何してるのでしょう?
クライアント : ・・・ 誰かを探してるんでしょうかね ・・・
セラピスト : それは男ですか? 女ですか? どういう人ですか?
クライアント : ・・・ わかりません ・・・
セラピスト : 特定の誰かですか? それとも不審者とかの誰かですか?
クライアント : ・・・ あっ ・・・
セラピスト : どうされました?
クライアント : ・・・ 誰かを発見したようですね、どうやら ・・・
セラピスト : それはどんな人ですか? 探していたような人ですか?
クライアント : ・・・ ええ、たぶん ・・・
セラピスト : あなたはどういう人なんでしょうか? 見つかった人のご友人とかですか?
クライアント : ・・・ 私は、そのー、何でしょうねえ ・・・
セラピスト : 見つかった人はあなたにとって大切な人ですか?
クライアント : ・・・ いえ、個人的に大切な人とかいうような人ではない感じです ・・・
セラピスト : それから、今、どうなりました? 何か今そこで、起きてますか?
クライアント : ・・・ あっ ・・・
セラピスト : 何か起きたんですね?
クライアント : ・・・ 私は・・・、銃を構えてますね ・・・
セラピスト : ドイツ兵を撃とうとしてるのですか?
クライアント : ・・・ いえ、私たちがドイツ兵のようです。私がドイツ兵のようです ・・・
セラピスト : 誰を撃とうとしてるんですか?
クライアント : ・・・ うわっ ・・・
セラピスト : どうしました? 誰かに撃たれたんですか?
クライアント : ・・・ いえ、私が撃ったんです ・・・
セラピスト : 誰をですか?
クライアント : ・・・ その人達をです。 その家族をです。みんな。 ・・・
セラピスト : どの人達ですか?
クライアント : ・・・ 見つけた人達をです ・・・
セラピスト : それはどんな人達でした?
クライアント : ・・・ 一般人です ・・・
セラピスト : ドイツ兵のあなたが一般人を銃で撃ち殺したんですか?
クライアント : ・・・ 一般人というか、ユダヤ人の家族を、です。 うわーーーーん。 えーーーーん、うぇーーーーーーーーーーん。 (涙をほんとうにだらだら流す)
セラピスト : 大丈夫です。 それは昔の事です。 昔の出来事です。 今のあなたではありません。 その場を離れて・・・、そう、その場を離れて、その場を冷静に、客観的に見れるところまで離れましょう、 楽にして・・・
クライアント : ・・・ ・・・ はい、だいぶ落ち着きました。 もう大丈夫です ・・・
セラピスト : あなたは彼らを探していたのは殺すためだったのですか?
クライアント : ・・・ どうやら、そのようです。皆殺しにするためだったようです ・・・
セラピスト : 他の兵士たちはどうだったんですか?
クライアント : ・・・ みんな同じです。 命令ですから ・・・
セラピスト : 何処からの命令ですか?
クライアント : ・・・ 何処って? 軍のです ドイツ軍のです ・・・
セラピスト : あなたは今ドイツ軍の兵士で、上官の命令でユダヤ人の家族を殺したんですね?
クライアント : ・・・ 人殺ししてたのは私だったんです。私がドイツ人に殺されていたんでなかったんです。 私がユダヤ人を殺していたんです、何の罪もない人達を ・・・
セラピスト : 上官の命令だったので仕方なかったんですよね?
クライアント : ・・・ あの言葉、あの上官の言葉、ユーデン・・・、もう聞きたくありません。
セラピスト : あなたは別に悪いわけではないですよね。
クライアント : ・・・ でも、私が人殺ししていたんです、この私が ・・・
セラピスト : 今、どんな気持ちですか?
クライアント : ・・・ こんな国に生まれてきたこと後悔してます。 こんな言葉ももう嫌です。 彼らは何の罪もない、ただの一般人です。 でも、殺したのは私です。 私が殺されていたわけじゃなかったんです ・・・
セラピスト : わかりました。ユダヤ人を殺していたのは貴女だったのですね。貴女はユダヤ人ではなくて、貴女がドイツ人に殺されていたわけではなくて、貴女の方こそドイツ人で、ユダヤ人を殺していたのですね。
クライアント : ・・・ そうだったんです。 うぇーーーーーーん。 ・・・
セラピスト : わかりました、わかりました。
クライアント : ・・・ そのユダヤ人の家族は皆殺しにされました。 私たちドイツ兵が殺したんです。
セラピスト : あなたは上官の命令で仕方なく撃っていたのですよね? 他のドイツ兵たちと一緒に。
クライアント : ・・・ でも、私が人殺ししていたんです、この私が ・・・
セラピスト : でも、命令に背くわけには行かなかったのですよね? そのユダヤ人たちを撃ったのはあなたの意志でも責任でもなかったんですよね?

クライアント : ・・・ はい ・・・
セラピスト : あなたにとっては、あなたの立場ではやむを得ないことだったんですよね? それはどうすることもできなかったんですよね?
クライアント : ・・・ はい、確かに。 私はその時、強く感じたんです。 こんな罪もない家族をわざわざ探してまで殺すようなこんな国の言葉なんて、もう聞きたくもないって ・・・

セッションはここで終了です。


さて、本人にとってみれば、まったくもって意外とも言える内容が浮かび上がってきていましたね。

本人はずーっと、自分がユダヤ人で自分がドイツ人に殺されていたのではないだろうか、と常日頃から思っていたのです。 ですが、実際に彼女の目に現れた光景は、それとはまったく異なって、ドイツ人、ドイツ兵だったのは他ならない自分本人で、自分こそがユダヤ人の家族を殺していた、というものでした。

思っていたものとは全く違う正反対の記憶が出てきたのでした。

今、思っていたのとは全く違う記憶、と言いましたが、正確に言えば、自分が予想していた自分の立場が相手の立場だと思っていた立場で、自分の立場だと思っていたのが相手の立場だったとう風に違っていたわけでした。

もっと言うと、こういう言い方は良くないかもしれませんが、大まかにいうと、「悪いのは相手で、自分はその被害者だったに違いない」とセッション前には予想していたんにもかかわらず、退行催眠で思い出して現れてきた記憶は、「自分こそが悪いほうで、相手こそが何の罪もなかった」という記憶だったわけなのです。

彼女の場合は素直に、そのことを受け止めることができました。感情が揺さぶられることはありましたが、冷静さは取り戻して、きちんと真実(と思える)出来事を認識し、なるほどドイツ語にはなぜか馴染めなかったその原因が何であったかを知ることができました。

それは現れた現実(前世の記憶)をしっかり受け止めることができたからです。その事実を受け止めて平静を保っていられるだけの度量の広さがあったからです。

こうした類の予想とは180度全く異なる記憶というのは、もしかするとあなたは、例外的な部類に属すのではないかと思われているかもしれません。

しかし私はむしろ、こうした類の記憶、つまり、自分が思っていたのとは実は正反対だった、自分こそが問題側だったり問題の張本人だった、というケースのほうが多数派ではないかと捉えています。

多くの人々は一般に、程度の差はともかく、自分が受け入れたくないものは、それが目の前に見えていても、見えないものです。 極端に言えば人には、都合の悪いものは、たとえ他の全員が現実に見たり聞こえていたとしても、本人だけは感知しないという傾向があるようです。

本人の器に応じた物事しか感知できない、ということが、無意識的に誰でも一般にある傾向のようです。

実際、前世退行でも、私が施術を行っても、約半数強くらいの方は何ひとつ全く記憶は出てはきませんし、残りの約半数弱の何か記憶が出てくる方の場合でも、この方のように鮮明に映し出されてくる方はさらにその半数弱です。

それよりは、何となく雰囲気っぽいものをぼやーっと感じる方のほうがむしろ多いものです。 そして、何とか問題の原因の核心に迫ってきても、どこかに飛んだりする方のほうがむしろ多かったりします。 たとえ鮮明に見えてきてる方の場合を含めても。

この方の場合も、セッション前は自分は被害者でまさか加害者の側だとは夢にも思ってもいなかったのです。 たとえ本当の意味での加害者でなくても、自分はあくまで被害者で加害者側の人間ではないと信じていたわけです。

一般に人というものは何でも、本来的に自分の都合の良いように物事を受け取りたい性質というか、気質があるようです。

彼女の場合も、自分がユダヤ人で残虐なドイツ人に残忍に殺害されている被害者としての自分が、記憶として蘇ってくることを期待していたのです。 ところが、穏やかなニュートラルな催眠状態で現れ始めてきた記憶は、それとは真逆だったのです。

はっきり言って、それは彼女にとっては、最も見たくない光景だったはずなのです。 もちろん、自分がどんな残忍な殺され方をしてる場面よりも、です。

そこで、もし彼女が、自分の立場をある意味守って、加害者側だとどうしても認めたくない場合は、せっかく現れ始めてきた記憶を「半ば」無意識的に、(でも顕在意識が)シャットアウトしてしまうものです。 そしてそのこと自体も(当然認めたくない程の辛すぎることですので!)忘れてしまいます。

そしてまったくなにくわない顔をして、何も思い出さない現象(??)だけが起きるわけなのです。 (多くの方の場合はこのタイプに見受けられます。)

思い出すのが辛すぎてとても耐えられない場合は、せっかくその糸口に触れていても、そのようにして結局何一つ、思い出すことはできません。

思い出す内容を受け止めるだけの器が、その人に備わっていない限り、思い出すことは起きてはきません。 思い出しても大丈夫な準備ができていない場合には、何も思い出せないのです。

こう書くと、次のようについ考えてしまう方も、もしかしたら多いかもしれません。

「思い出すのは前世なんだから、それは、やりとりにも実際にあるように、昔のことで、今の本人のことじゃないんだから、別に思い出すことに何の苦痛もあるはずもないのではないですか?

ましてや、昔のことどころじゃなくて、自分のことじゃないんだから、尚更、思い出すことには誰だって抵抗なんてないのではないでしょうか?? 誰だって普通、思い出しても大丈夫な準備くらい、始めからできているのではないですか??」、と。

こう考えてしまうあなたは、「前世というものは(過去の)『自分』では決してなくて、それは『自分ではない、どこかの誰か』のことだから、先祖でもないわけだし、ましてや、自分はその人の人生には何の責任もないから関係ない」、と思われていることでしょう。

その考えには大きな勘違いがあります。 前世というのは決して自分ではない過去の誰か別人の人生ではありません。

過去の誰か別の人物の責任を、赤の他人のあなたが負って、この世の中に生まれてきてるというわけではありません。

こう言うと、そんな証拠なんてどこにもない、とおっしゃることと思います。 ですが、それなら前世があるという科学的な証拠もそもそもどこにもありません。

ですので、わたしはそうしたあなたに関しては納得させることはできないでしょう。

ただ、少なくても一つ大きな要素として歴然とあることは、前世を思い出す方々のすべての方々は異口同音に、それらを他の誰でもない自分自身の人生として思い出していることです。

決して他の誰か他人の人生として思い出す人は誰一人としていない、ということです。

だからと言って、それがそのまま、思い出した前世は確実に存在していて、その人生は決して他人の人生ではない、その人自身の人生、だという証明になるわけではありませんが。

とはいうものの、前世の記憶を他人として認識する人は皆無でしたし、私が前世退行を行った方々の全員が全員、思い出した前世の記憶は自分自身のだと認識していた事実からしても、前世というものは、あくまで今の自分自身の生まれる前の生で、それが脈々と続いている、と受け止めるのが自然だというものでしょう。

もちろん私が、催眠中に、これはあなた自身に起きていたことなんですよ、とか、クライアントさんに何かを刷り込むようなことはしてるわけではありません。

また、現在の人生で身近にいる人が前世でも何か関わりのある方だった、ということもしばしばみられました。

ですので、もしあなたが、身近にいる誰かに悩まされていて、しかも長年にわたって逃れることのできない環境に置かれているとしたら、もしかしたら前世でその方と何かあったのかもしれません。 こういうとちょっと話が飛躍してる風に受け取られるかもしれませんが、現生で因縁が深い人は、生まれる前から深い因縁があったと思っていた方が良いでしょう。

先に例で出した方の場合は、問題そのものが客観的には軽い問題でしたし、取り立てて大きな器でなかったとしても、受け入れ可能な記憶が出てきたわけですが、あなたが長年悩まされてきている因縁とかならば、たとえ身近な人との因縁であっても、前世の記憶は、もっとずっと大きな器にあなたがならないと受け入れ可能にならないかもしれません。

おそらくあなたには今のあなたの器では、とても受け入れられない何かがそこにはある、と思っていた方が良いかもしれません。 そしてそれはあなたの準備ができた時でないと、思い出せるタイミングではないと思った方が良いでしょう。

まず、ほとんどの場合、まさか、という最も予想できない事実がそこには潜んでいるものです。絶対そんなことはあり得ない、と今のあなたが考えているようなことこそがキーとなる出来事です。

それをたいした苦痛もなく受け入れられる状態で思い出すか、とても耐えがたい苦痛なので、思い出せないかは、あなたの器、と申しますか言葉を換えて言えば、準備次第ということでしょう。

話は少々枠から逸脱してきてますが、そうした何か大きな問題に関しては、何も無理にこじ開けることではありません。時期が来た時には何か合図があるはずです。 その時、まさか???!!!、と思える頭に浮かんだことを無視しないことです。

前世の記憶を思い出す人は決して例外的な人ではないとはいえ、大きな問題であればあるほど、たとえ前世に重大な原因があったとしても、それを思い出すことは、このように困難なものです。時期を待ちましょう。

話を枠内に戻しますが、基本的には、前世退行など、退行催眠で思い出す記憶というものは、辛すぎて生きていけなくなるようなものはありません。と申しますか、とても辛すぎる記憶ならば、出てくる(思い出す)ことはできません。

思い出すことができたなら、現在のあなたにとってその問題となっていることは、それを手掛かりに解決可能なことだ、ということも言えるでしょう。 ですので、たとえ目を塞ぎたいようなことが脳裏に浮かんできてもそれに蓋をしては、もったいないというものです。

まあ、通常の場合、そうしたとても大きな問題ではなくて、細かな、とは申しませんが、最初の例にあげたような何らかの問題を解決するために、前世退行することが有用な場合も、ままあることは確かです。

しかしながら、何らかの前世の記憶等をたとえぼんやりとでも思い出すことができる人の割合は私が行っても半分弱くらいでしょうか。 全く何も出てこない方は、潜在意識が上記のような理由があって、たとえより小さな問題でも身を守るためにブロックをかけている場合が思いのほか多いということです。

また、ここに一つ、幼少期への退行催眠と大きく異なる点が「一つ」あります。 それは何だと思いますか? 実はこのことはセラピーに当たって重要なのです。

年齢の退行か別の人生への退行か、といった表面的な違いのことではありませんよ。

幼児期への退行催眠と大きく異なる点、それはその時の顕在意識です。 言い間違いではありませんよ。 潜在意識ではありませんよ。 顕在意識ですよ。

疑問に思われましたか? 顕在意識ならどっちの場合も、現在の自分(クライアント)ですね。 じゃ、正確に言うと、思い出した場面の年齢と顕在意識の年齢の差、の違い、です。  今度はお分かりでしょうか??

幼少期への退行催眠の場合は、その場面を同時に観ている顕在意識の年齢はその時よりずっと成長した大人です。 なので、その出てきた場面を普通、冷静に客観的に観ることができるのです。

しかし、前世退行の場合は、だいぶ違います。 思い出した記憶もたいていは大人、それを観ている現在の自分の顕在意識も大人です。 必ずしも、より成長した意識で観れているわけではありません。

整理しますね。 幼児退行の場合は、思い出した記憶を同時に観てる(顕在)意識は、その時より成長していて冷静に客観的に観れる意識です。 それに対して、前世退行の場合は、思い出した記憶を同時に観てる(顕在)意識は、必ずしもその時より冷静に客観的に観れる意識というわけではありません。

つまり、どういうことかというと、前世退行の場合、記憶を思い出したこと以上のことが起きるとも言えない、ということです。 この点が、前世退行が幼児期への退行催眠の場合と比べて、必ずしもセラピーという観点からでは決して適しているとは言えない理由なのです。 もっともこのページで例に挙げた女性の場合に関して言えば、今言ったデメリットは感じなかったかもしれませんが。

あ、もしかすると逆に、次のようなメリットを感じた方もいらっしゃるかもしれませんね。たとえば、前世のことなら自分という実感が薄いので、むしろかえって客観的に観ることができるのではないかって。

これについてあなたはどう思いましたか??
前世の記憶を思い出した場合、その人生は誰か他人の人生だと感じる人はいません。 前世は自分自身のかつての人生で、それは決して誰か他人、第3者の人生だと感じる人はいません。 もし、それが自分ではない第3者、他人の人生だと感じる人がいたならば、それは前世の記憶では決してなくて、妄想か何かででっちあげた記憶、ということです。

ですので、自分という実感が薄いわけではありませんので、その意味で客観的に観れる、ということわけでは決してありません。

前世退行の場合、得てして、時としてこうした妄想型の人も少なくない場合がありますので、ちょっと注意した方が良いでしょう。

そうした意味で、前世退行で思い出した記憶がほんとうに前世退行できて思い出した記憶なのかどうかを判断する大きな一つの目安だということも言えるでしょう。
おさらいですが、思い出した記憶がもし、その前世の人生がまさに自分の人生だという実感が伴わない場合は、それは前世退行はできてはいない、と思った方が良いでしょう。

他にも、前世退行ができていたか、できていなかったかを見分けるポイントがあります。
あなたは、前世退行で、よく、良く知られた歴史上の人物が出てくるなんていう話を聞いたことはないでしょうか? 実のところ、私はこれまで前世退行を試みた人の中で、歴史上の人物が出てきたことは一度しかありません。

そもそも、確率的に、誰でも知ってるような歴史上の人物が出てくる可能性なんて、ほんの微々たるものでしょう。 普通はないものです。 もっとも、あり得ないことではありませんが、非常に稀な特殊な場合だと思ったほうが良いでしょう。

そうした良く知られた歴史上の人物が現れてきた場合は、多くの場合、それはクライアントさんの妄想か何かだと疑ったほうが良いでしょう。