ミルトンエリクソンの催眠療法(現代催眠療法??)

前世紀、20世紀にミルトン・エリクソンという名の高名な催眠療法家がいました。 彼は、一切ことばを使わず、繰り返し、催眠をかけた、とさえ言われる程の催眠療法の名人、達人だったそうですが、その技法は、しばしば、伝統的な催眠技法とはまったく異なった新しいやり方だと言われ、現代催眠という言葉は主としてミルトン・エリクソンの催眠療法手法を指しているように見受けられる節があります。尚、現代という名はついてはいても、エリクソンは前世紀の人です。

さて、まず最初に、ここで言う「伝統的な催眠療法」とはどういうものを指しているのでしょうか??

どうやらそれは、よく催眠に関する映画とかで見かけるような振り子とか、そうした小道具や奇妙な舞台装置を使うような、ある種、ショー催眠でも指しているかのようなきらいが見受けられます。 確かに私もクライアントさんから、「以前受けたところでは振り子を使っていた」なんて話も耳にしたことがあります。

しかしながら、もし、そういうのを「伝統的な催眠療法」と捉えている催眠(療法)の専門家と称する方がいるとしたら、そもそもそういう方はセラピー向きの催眠誘導ははじめからできていない方だといえましょう。

それはともかく、ミルトン・エリクソンからは学ぶべき点は非常に多いのは事実です。

エリクソンはどんな人でもたやすく催眠に入れたとされていますが、
その手法はどのケースでも一種独特で他の人にはとても真似のできそうにない手法、そういう意味では再現性がない、とさえいえるような、一般化できる定形がないものでした。

ミルトン・エリクソンの名を一般に知られるようにしたのは、NLP(Neuro-Linguistic Programming、神経言語プログラミング)で有名なリチャード・バンドラーとジョン・グリンダーかもしれません。

彼らは、主にミルトン・エリクソンのその定型がないとされていた催眠療法を分析したところ、実際にはそこにはある種決まったパターンが実は人間の脳にはあって、エリクソンはそのパターンを催眠誘導や療法に利用していることに気がつきました。彼らはその人間の脳のメカニズムをNLP(Neuro-Linguistic Programming、神経言語プログラミング)と名づけました。

ミルトン・エリクソンの名は一般にはむしろ彼ら、グリンダーとバンドラーのNLPを通して知られるようになったと言えるかもしれません。 今日では彼らのNLPの技法は、何かの療法というよりはむしろ、コミュニケーションツールとして見なされている節があります。

エリクソニアンという言葉の意味は、エリクソン流の催眠(療法)を行うセラピスト、という意味になりますが、何か、ビジネスでのコミュニケーションのために、このNLPを学んだ人達までをもエリクソニアンと呼ぶのは、拡大し過ぎた表現、といえましょう。

ですが、それ以前に、そもそも何がエリクソン流の最大の特徴かといえば、それは、一種独特で他の人にはとても真似のできそうにない点ですので、この手法というものは、(究極的には)エリクソン以外にはできない、彼にしか再現性のない手法なのです。

ですので、ほんとうの意味でのエリクソニアンというのは、ミルトン・エリクソン本人だけ、だと捉えるのが妥当とさえ言えましょう。 安易にエリクソニアンなんていう言葉を使うのは、彼に失礼というものです。

こういう次第で、(グリンダーやバンドラーによって)分析されたミルトン・エリクソンの(催眠)手法を使うセラピストのことをエリクソニアンと呼ぶのは、ほんとうには適切だとはとても思えません。

そうしたNLPの手法の中で、分かりやすい代表的なものは、ミラーリングと名付けられた「技法(テクニック)」でしょう。 これは主として、セラピー本体というよりは、その前段階の面談によく使われることが(セラピストによっては)あるかもしれません。 あるいは近年のコミュニケーションツールへの応用ブームで、むしろ、ビジネスの交渉や恋愛(??)の現場で使われることが多いかもしれません。

これはどういう技法かというと、相手(ここではクライアントとかビジネス等での交渉相手)の動作などを真似ることです。(身振り手振りなどの動作に限ったことではなくて、口調とか言葉とか話題とかも含みますが。) もしかしたらあなたも知らず知らずのうちにビジネス相手側から使われていたことがあるかもしれませんね。(もし言い寄ってきた男性に使われたのなら最悪ですが。)

先ほど、NLPというのは(ミルトン・エリクソンが考える)脳のメカニズムだと申し上げました。そしてNLPの代表的なテクニック(の一つ)は、例えばミラーリングだと述べました。 そして、ミラーリングとは具体的に何をするかも述べました。

では、このミラーリングとは脳のどういったメカニズムを利用した何のためのテクニックなのでしょうか?

これが理解できていないでミラーリングを行うと、それは単なる猿真似になるだけです。 あなたがミラーリングを仮に使わないにしても、この原理を知っておくことは有益なことでしょう。 それを知ってあなたがミラーリングを使いたくなるか、嫌気がさすか、それはともかくとしての話ですが。

人というものは、お互い気が合って仲の良い人同士ならば、知らず知らずのうちにいつの間にか、言動や行動、身振り、手ぶり、クセなどがお互い双方意識することなく、似てくるものです。 気が合った人はついつい、その相手の身振りや手ぶり等々までが同調、共鳴して自然と似てくるものなのですね。

そうしたならば逆に、相手の身振り、手ぶり等をそのまま真似すれば、相手は自分のことを無意識的に気が合った人だと思ってくれるのではなかろうか、という発想からミルトン・エリクソンが使っていた技法、テクニックなのです。 そしてエリクソンのこの手法は彼のセラピーで功を奏していました。

今言ったこと、お分かりでしょうか?? もっと言うと、本当は気なんかまったく合ってもいなくても、このミラーリングのテクニックを使えば、相手は無意識的に自分と、あたかも気が合ってるかのように錯覚してくれる、ということなのです。

お分かりでしょうか? 言葉は悪くなりますが、こうした「ある種、騙しのテクニック」、というのが本当のところなのです。これがミラーリングの実態なんです。 しかしながらセラピーを行う上では、セラピストは相談者から信用、信頼されていることは、セラピーが成功する上での第一歩とも言えますから、このテクニックを用いることも、意味のないこと、というわけでは、(一応は)ないのです。

クライアントさんから信頼を得ることがセラピストにとっては良い意味でセラピーを成功させるための条件ですので、たとえ信頼関係を築けていないにもかかわらず、信頼関係やラポールが築けているとクライアントさんに(無意識的に)思ってもらうことは、一応は良いことなのです。この限りにおいては、ですが。

(言葉は悪いですが)「騙しのテクニック」をセラピストがクライアントさんに使う目的は、決してクライアントさんを騙すことが目的というわけではないくて、セラピーの成功へつなげるために、クライアントさんの信頼を得るためなのです。 この限りにおいてそこに悪い意図はありません。

ですが、そこにはホントは(双方の)信頼関係が決してあるというわけではないことがお分かりでしょう。 ましてや、ラポールはありません。 クライアントさんからの一方的な信頼関係があるわけです。 いえ、別にセラピスト側がクライアントさんを信頼したらダメだとか、信用したらダメで疑ってかかるものだという意味ではありませんよ。

(セラピスト側は、クライアントさんの話は信用しつつも、どっぷりとそれにのめり込むことなく、ある距離をおいて、冷静に受け止めるのが常です。)

そして、「クライアントさんとセラピストの間にラポール、信頼関係があることが最も大切」だ、なんてよく催眠療法に限らず一般にカウンセリング関連のサイトには書かれていたりするのを目にしますが、それと同時にミラーリングに代表されるNLPについても、それに役立つものとして書かれていたりするので、驚かされます。

繰り返し言いますが、本来信頼関係が築けていれば、こうしたテクニックは使う必要のないものです。 それが簡単にできないと感じてる人が使っていることなのです。

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そして、こうしたことをビジネスに応用したのが、近年にみられる、コミュニケーションツールとしてのNLPというわけです。 ですが、これは果たしてほんとうに、コミュニケーションを良好にするための方法、でしょうか??

そうではないのがお分かりかと思います。 あくまで自分はともかく、べつに相手と気が合ってるわけでもないのに、相手に、気が合うと思い込ませるだけのテクニックでしかないのです。

もっというと、もし相手と気が合っているのであれば、何もテクニックとしてのミラーリングなんて使う必要なんてそもそも全くないわけなのです。

また、多くの場合においては、こうした本心ではない見せかけのワザやテクニックは、何か自然でない不自然さをどこかで醸し出すものです。

そして、相手はそれをどこかでは察知して、結局は離れて行ってしまう、ということが実際には起こりやすいことです。

特に、単に相手のしぐさをあからさまにわざとらしいくらいにまで真似てる人は、それこそ即座に察知されて、あからさまな拒絶反応をその場で示されることになりかねません。

セラピーツールとしてのミラーリングに話を戻しますが、この技法をちょっとだけ使うことは必ずしも悪いことではありません。 セラピーには信頼関係は必要だからです。

ですが、実のところ、いくら信頼関係が必要だからと言っても、ラポールまでは必要ありません。 一般の方はよく誤解されているようですが。

ラポールというのはそもそも、いわゆる信頼関係のことではありません。 そこに気心が通じて同調していなければ、それはラポールとは決していいません。

ラポールが形成できるのは、たとえば恋人とか、相手は限られてくるものです。 そこにはある種のテレパシーさえあるような間柄というか、気の通じようでないとラポールは築けていないとさえ言えるかもしれません。 そして、ラポールが築けてる関係なら既に、そこにはごくごく当たり前のように、先に述べたミラーリングは起こっているはずなのです。 そこには、そもそも、「テクニックとしての」ミラーリングなんかは全く何ひとつとして必要とはされていません。

間違ってはいけないのは、決して、コミュニケーションスキルとしてラポールがあるというわけではない、ということです。 恋人同士はそもそもコミュニケーションスキルを駆使してラポールを築き上げたわけではないのはおわかりでしょう。 もっともある種の見せかけの恋愛セミナーや婚活セミナーなんかでは、もしかするとそうしたことを謳った講習があったりするのかもしれませんが。

ラポールが築けているほどの関係の人ならば、信頼関係はもちろん、ごく自然にミラーリングは起きてますし、気が通じ合って、共鳴してますし、多くを語ることなく、意思の疎通ができているものです。

セラピーに当たって、セラピストとクライアントは、こうした関係である必要はありません。 面談では、何も話してくれないと何も分からないから、セラピストは必要なことを聞くわけです。 そこに以心伝心はありません。

セラピストはクライアントと、まるで恋人であるかのように共鳴してる必要などどこにもないのです。 ラポールではなくて、むしろ、冷静な客観的な立場で、ある距離をおいて立つことがセラピストの立ち位置としては重要です。

初めて会った人とは言っても、信頼関係が成り立たなければ、セラピーになりませんが、実際、ラポールが築けることはごく稀なことです。

ミラーリングや様々なテクニックは、あくまでテクニックでしかありません。 それは言葉を変えていえば、騙し、とさえ言えるのです。

世の中のコミュニケーションツールの実態を今ここで知ったならば、いくら物事には信頼関係は必要とはいえ、もうそれに頼ったり騙されたりしないようにしたほうが良いでしょう。

セラピーにおいてもそんなもの(コミュニケーションツール)は基本的には必要ありません。

そして、ミルトン・エリクソンの本領も決してこんな小手先のテクニックにあったわけでもありませんでした。

だからこそ、見た目にはエリクソンンの手法には定型がないようにしか映らなかったのです。

そして、それを分析してNLPとして発表したグリンダーとバンドラ―のテクニックも本質が伝わることもさほどなく、世の中に広まりはしたものの、何か怪しげな要素だけが拡張され、かえって本質的にはセラピーには不向きなものとなって、さらにさらに広く伝わった、と言えるかもしれません。 そこには既に彼の手法は骨を抜かれたミイラのように横たわっているだけです。

そういう次第で、今、ここでは、ミルトンエリクソンの手法が、果たしてどういうものだったのか、少しでも見て行きたいと思う次第です。

ミルトン・エリクソンに関する書物は数多く出版されてはいますが、本人が自ら著したものはおそらくないのかもしれません。 多くの著書は周りの誰かが著したもののようで、その中にどれほどミルトン・エリクソンのセラピーの芯となる部分が表出されているか、何とも言えないようにも思います。

ミルトン・エリクソンの教えの物語り

今、ここでは、ミルトン・エリクソンに許可を求めてシドニー・ローゼンが著したエリクソンが治療者向けに話した「教えの物語りteaching tales」である「MY VOICE WILL GO WITH YOU」の日本語訳本の中から、いくつか題材を見ながら、ちょっと垣間見てみることにしましょう。

輝く氷の上を歩く

ある時エリクソンは、滑って転びやしないかといぶかしげに輝く氷の上をながめる義足の退役軍人に出くわしました。 エリクソンは「私が氷の上の歩き方を教えましょう」と言って、びっこのエリクソンは氷の上を歩きました。

「どうやってるんだい?」との問いにエリクソンは、「言いません。教えましょう。 さあ、目をしっかりと閉じてください。」と言いました。 そしてエリクソンは彼をくるりと回転させ、まず、氷のない歩道をあれこれ歩かせ混乱状態にしてから、氷の上を渡らせました。

「どうやってこっちに来たんだ?」といぶかる彼にエリクソンは言いました。 「あなたはコンクリートがむき出しであるかのように歩きました。氷の上を歩こうとするとき、いつもの傾向で、倒れることに備えて筋肉を緊張させます。あなたは心の構え(mental set)を持っているのです。それであんなふうに滑るのです」

著者のシドニー・ローゼンは解説します。
「ここでエリクソンは、固定観念から人を連れ出すための彼の古典的な方法を示している。 最初は混乱させることである。 次に、その混乱しているあいだに邪魔ものを超えさせてしまい、成功の体験をさせる。 もちろんこのケースでは、成功の経験は彼の普段の緊張、つまりいつもの心の構えで反応できないときに生じた。 古い構えは新しい構えに置き換えられる。 男は氷の上を歩くことができると信じる。 彼は今や、新しい『滑りやすい』状況に、かつての『転倒』に関連した恐れを抱くことなしにアプローチする。 彼が普段使っている知覚を使わないようにすることが大切だ。この理由でエリクソンは男に目を閉じさせた。」と。

まあ、確かにそうした理屈はあるかもしれませんが、これはとても一般的には言えることではない、というのが私の判断ですね。 私に言わせれば、エリクソンはそれができる人だと見抜いて行った、ということです。 多くの人には上手く行かなかったはずです。

なぜならば、てかてかに輝く氷の上を普通の歩き方で歩けば、と申しますか、普通の歩き方の体重のかけ方であるけば普通は転んでしまうからです。 もちろん、筋肉を緊張させれば尚更ですが。

いいですか、単に筋肉を緊張させない普通の歩き方では不十分なのです。 私のような北国の人はみんな知っての通りです。

氷の上を歩くときは、「体重は決してかけない」ように歩くのです。 この歩き方はもちろん、むき出しのコンクリートの上を歩く時の普通の歩き方ではありません。 その歩き方では転ぶからです。

ですので、こういう場面では、普通に歩かないで、体重はかけないで歩く心の構え(mental set)が(普通は)必要な局面なのです。 ましてや、義足の人なら尚更困難でしょう。(ちなみに私は左足麻痺ですので、ほとんど無理な話です。)

北国の人たちはこれが自然とできていますが、それでもこのような局面では意識的に体重がかからないように、ふんわりと歩くわけです。 それは何も知らない人から見れば、とても自然な歩き方には見えませんし、あたかも北国の人は歩き方が普通とは違うとさえ映りかねないほどです。 こうした局面ではそうした注意が本来必要なのです。

ですので常識的に考えて、この退役軍人の方は余程特殊な方だったはずです。 そしてそれを見抜いたのがエリクソンだったというのが本当のところでしょう。 これは一般には決して成立しない手法です。

つまり、ごく普通の一般の人が同じことしたら、非常に高い確率で失敗して、無残にも転んでいたことになるということです。 下手すると大けがをしかねないほどのレベルでです。 なにしろ目をつぶって視覚を奪われているわけですからね。 非常に危ない環境でつるっつるの氷の上を歩かされていたわけですから、常識的に考えて、絶対にやってはいけないことをさせていたわけなのです。

もっとも、そんな環境で成功させてるところが、エリクソンの人を見抜く力だったと言えるわけですが。 そんな技術を表面的に真似しても、それは単なる猿まねにしかならないのです。 この点を十二分に認識しておく必要はあることでしょう。

 

減―増―減

エリクソンのもとにある女性がやってきて言いました。「体重が180ポンド(約82キロ)なんです。医者の命令で何百回も減量に成功してきました。理想は130ポンド(約59キロ)です。 ダイエットして130ポンドになるたびに、台所に直行して、成功を祝うのです。 それで、すぐにもとの体重に戻ってしまいます。 今、180ポンドです。 催眠を使って、130ポンドまでやせさせてくださいませんか? 何百回やっても180ポンドに戻ってしまうんです。」

エリクソンは、自分のやり方はかなりつらいよ、と言いましたが、その女性は、どうしても130ポンドになりたいので、彼のやり方に文句はつけない、と言いました。

彼女が約束したので、エリクソンは彼女をトランスに入れ、再度、彼のやり方を守ることを約束させて言いました。「20ポンド増やして200ポンドになったら、減量を始めてよろしい」と。

すると彼女は、ひざまづいて、その約束だけはやめてほしいと懇願し、さらに1オンス増えるごとに、よりしつように減量を始めさせてほしいと言ってきました。 190ポンドになった頃にはもだえ苦しみました。 199ポンドになってもエリクソンは200ポンドを譲りませんでした。

それが、200ポンドに到達した日、やっと減量を始められるので、彼女はとても幸せそうでした。 130ポンドまで減量したとき、「もう二度と太ろうとは思いませんわ」と言いました。

彼女のこれまでのパターンは減量―増加でしたが、エリクソンはこのパターンを逆さまにして、増加―減量に変えた、とされています。 それで、彼女は最終的な結果にとても喜び、その体重を維持した、と。

彼女がかつて体重を減らさなければならないことに憤慨していたのと同じように、体重を増やさなければならないことに憤慨するようにした、ということのようです。

こうしたパターンを逆転させたり、ものごとをさかさまから見るというこの方法は、患者のものの見方を変えるために、エリクソンが好んで使った方法のひとつだそうです。

まあ、きっとそれは思考が比較的単純な米国人にはきっとあてはまったパターンだったのかもしれません、ミラーリングのように。 ですが、そうした単純な思考ではない日本人にはたしてどれだけ一般に通用するかは少なからず疑問があるでしょう。

そもそもダイエットしたい人は誰だってはじめから「二度と太ろうとは思ってはいない」ものです。 にもかかわらず太ってしまうから困っているのです。 あなたもダイエットしたい方でしたら、そうではありませんか??  つまり、この方の場合ははじめからかなり特殊な方だったということが言えるわけです。 この手法は、そうした方だったから成り立ったやり方だったというわけです。

こうしたエリクソンの手法は、大部分の人にはとても適さない手法であることを認識していなければ単に逆効果になることを肝に銘じておくのが賢明です。

180ポンドの人が20ポンド増やして200ポンドになることくらい、別にわけないことです。 それをセラピストに200ポンドまで増やしなさいと言われたら、安心してそれに従ってしまうのが(少なくても日本人では)通常の人です。 なぜならば、200ポンドになっても、その後で、それから体重は減少するんだって言われているわけですからね。 安心して200ポンドまでは少なくても増やす人が大部分でしょう。 そして200ポンドになったからといって、やっと減量を始められるからって、幸せになる人は普通いません。 あーあ、もう食べられないのかあ、って思います。

それどころか、怖くて体重計に乗らない人なら、200ポンドになったことも気づかない人は多いでしょう。 こうした人はどこまで体重を増やすか分かったものではありません。 実際、普段から、怖くて体重計に乗れないという人は、見た目、太ってない人でもけっこういますからね。

 

どか食いダイエット法

とりわけひどい肥満の女の人が、1週間か2週間、時には3週間はダイエットを続けていられるけれども、その後は挫折してどか食い、落胆してもっとどか食いしていました。

エリクソンは言いました。「私はあなたに医学的な処方を与えます。2週でも3週でもできる限りダイエットを続けなさい。 それから3週目の日曜日に、これでもかというくらいどか食いしなさい。これは医学的な指示です。あなたは3週間で減らした分の体重に釣り合うほどのどか食いはできないでしょう。 でも、あなたは罪悪感を感じずにどか食いできます。日曜日まる一日中、どか食いをし続けるというのが医学的な指示なのですから。 そして月曜日にはまたダイエットにもどりなさい。 また3週間、できる限りダイエットを頑張りなさい。 そのあと罪悪感のないどか食いの日を過ごしなさい」

彼女は、3週間空腹に耐えているのよりも、もっと良いやり方があるに違いない、と気づき、毎日おなかをすかせることを望み、毎日適切な量の食事を楽しむことを望んだそうです。 どか食いの日々によって、彼女は3週間のダイエットに耐える強さを身につけたそうです。

このアプローチではエリクソンは、患者がそれまでずっと行ってきた「できるときには」3週間ダイエットして、それからどか食いすることを正確に実行するように指示しています。変化したことはどか食いに当てられる時間の長さだけで、もしあるパターンが変えられたなら、それがどんなに小さくとも、さらなる変化の可能性が生まれる、とのことです。

さて、まあ、確かにそれもありえない事ではないとは思います。
しかしながら、たとえ罪悪感がなかったとしても、一旦どか食いした次に、はたしてすんなりとダイエットの日々に戻れるものでしょうか?? それができる人には成功するやり方であるわけですから、必ずしも否定するつもりはありませんが、日本人の多くは、一度どか食いをしてしまえば、次の日も、どか食いに走ってしまうのではないでしょうか?? 次の日にはすんなりとダイエットの日々に戻れる人は、もともと最初から、適度なダイエットができている人でしょう。

エリクソンの方法はこのように、個人個人に特化して指示をしてる手法で、そこに一般性はないわけなのです。 そこが、エリクソンの手法を真似する人達の(本当はエリクソンの手法とは言えない)手法が決して上手くいかない再現性のない所以(ゆえん)です。

 

味わってみなさい

エリクソンの息子のバートには6人の息子と1人の娘がいます。 バートは子供たちがタバコやアルコールやドラッグなどに熱中するのではないかと心配していました。 そこで彼はごく早い時期から、車軸用グリースのように害がなく興味深そうにみえるものを子どもたちに見せました。 子どもたちがそれについて尋ねると、彼は「味わってみたら?」と言いました。 また、かわいい瓶を手にとって「匂いをかいでみない?」と言いました。 それは、アンモニアでした! 子どもたちはみんな、口に入れるものについてとても用心することを学んだ、といいます。 これは子育ての良い方法だそうです。

 

書きかけです。